正月、永井道雄、安部公房と宇佐美・吉長で食事。俳句「初春や吉日めでて長く飲む」を詠む。 2月20日、父ジョセフ(85歳)がフロリダにて死去。 3月中旬、「百代の過客:日記にみる日本人」を完成させる。 4月30日、Dawn to the West: Japanese Literature of the Modern Era. New York: Holt, Rinehart and Winston 刊(和訳版:『日本文学史:近代・現代篇』全8巻、徳岡孝夫他訳、中央公論社、1984年2月25日-1992年12月20日)。 6月13日、野上彌生子の希望により、成城の野上彌生子邸にて二度目の対談。10月25日発行の『中央公論文芸特集』(秋季号)に「「新しき女」と女性のキリスト像」と題して掲載される。対談には嶋中鵬二が同席。 7、8月『百代の過客:日記にみる日本人』上下巻、朝日選書(英文版:Travelers of a Hundred Ages. New York: Henry Holt and Company、1989年)。 9月7日、盛岡での「東北文化シンポジウム 平泉」(主催:岩手日報社)で「ひらいずみ文化私観」を講演。東北大学名誉教授・高橋富雄から色紙を贈られる。 9月18日、国立民族学博物館主催「日本文化研究に関する調査研究」研究会(第3回)で「海外に於ける日本研究」を講演。 10月、『「谷崎潤一郎・人と文学」展図録』(朝日新聞東京本社企画第一部)に、朝日新聞客員編集委員として「谷崎先生と私」を掲載。 11月1日、カプリ島(イタリア)に到着。 11月2日、カプリ島にて原芳男宛の手紙を書く。 11月30日、東京会館(11階シルバールーム)にて「ドナルド・キーン『百代の過客』出版を祝う会」が催される。発起人は、安部公房、井上靖、宇野千代、大岡信、加藤周一、桑原武夫、小西甚一、佐伯彰一、篠田一士、司馬遼太郎、嶋中鵬二、庄司薫、辻邦生、永井道雄、野崎孝、芳賀徹、丸谷才一、山崎正和、山本健吉ほか。 松江で開催された、ラフカディオ・ハーン没後80年祭にて講演。
1985(昭和60)年 63歳
正月、永井道雄、安部公房と宇佐美・吉長で食事。 1月9日、20:55成田発JAL072便でホノルルへ出発。小沼千明、近藤大博が自宅まで、前田良和が空港まで見送りに訪れる。 1月22日、「百代の過客」の読売文学賞受賞を知る。 1月31日、メトロポリタン歌劇場で《ホフマン物語》を観る。 2月16日、ニューヨークより成田着。 2月20日、東京・丸の内パレスホテルで催された、第36回読売文学賞(評論・伝記部門)の贈呈式に参加。 2月21日、「百代の過客」読売文学賞受賞祝いの会(主催:朝日新聞社)が築地・竹葉亭にて行われ、安部公房、大岡信、金関寿夫、庄司薫、中村紘子、永井道雄、萩原延寿、丸谷才一、嶋中鵬二らが出席。 2月24日、成田からニューヨークへ出発。 5月17日、第17回日本文学大賞(学芸部門)受賞―『百代の過客』により(贈呈式は6月21日に東京・ホテルオークラにて行われた)。 5月22日、コロンビア大学大学院学部教授会(GRADUATE FACULTIES ALUMNI OF COLUMBIA UNIVERSITY)より優秀賞(AWARD FOR EXCELLENCE)を受賞。 5月、日動出版から刊行された『鴨居玲画集-夢候 : 作品1947-1984』に、序文として ‘Second Meeting With a Blank Canvas’ が掲載される。邦訳:「白いキャンヴァスとの再会」(訳者:川島勝)も同時収録。 6月8日、18:00にローマより成田着。 6月9日、15:30~渋谷パルコ8F・はせ甚へ。18:30~ 東宝映画 「ビルマの竪琴」 試写会(NHKホール)。21:00~完成記念パーティ(場所:東武ホテルB2F)に嶋中社長夫妻、永井道雄氏夫妻、三島夫人と出席(映画のみ)。 6月25日発行の、『中央公論文芸特集』(夏季号)に追悼文「野上彌生子さんのこと 二回の対談」が掲載される。 6月28日、旧金毘羅大芝居重文指定15周年記念「四国こんぴら歌舞伎大芝居」(第一回)の『再桜遇清水』・『俄獅子』を観る(座席:1階平場はに列5番、開演11:00)。中村吉右衛門らが出演。 7月13日、高野山で「世界の中の日本文化」を講演(主催:大阪市社会福祉協議会)。 8月5日、11:00上野発のあさま11号(7-10D)で13:06に中軽井沢着。・ 8月10日、11:01中軽井沢発のあさま54号(7-3A)で13:15に上野着。 8月15日、10:10上野発のあさま55号(6-8C)で12:42に中軽井沢着。 8月20日、12:34中軽井沢発のあさま12号で14:45に上野着。 9月24日、横山正克『尼子氏一門のルーツ』出版記念会に参加するため、18時15分東京駅発寝台特急「いづも一号」で横山正克とともに松江へ。 9月25日、ユニコン社長の江沢紀彦氏、立花書院の楪氏などとともに松江市中へ。午前:月照寺、小泉八雲記念館、田部美術館、昼食、八雲庵(そば) 午後:八重垣神社、神魂神社、窯元めぐり三家(楽山窯 十一代長岡住右衛門氏、袖氏窯 四代目尾野晋也氏、布志名船木窯 五代目船木研児氏)、予定した松江城は時間の都合で向かわず、11月の再訪時に見学。夕餐:宿所皆美館で有志数名と歓談会食。 9月26日、横山正克とともに広瀬町の洞光寺、広瀬八幡焼窯元(四代目秦良次氏)、新宮党館跡、山中御殿跡、米子和泉窯(市川浩堂氏)、安来雲樹寺、米子市車尾の深田氏庭園、米子市福市の安養寺を訪問。同日夕には米子国際ホテルにて行われた横山正克『尼子氏一門のルーツ』出版記念会に出席。 10月12日、14:00〜砺波市文化会館にて開催された文化講演会にて「世界の中の日本文化」講演。講演の後には俳句の翻訳などに関して解説、サイン会も行われた。 11月10日、横山正克とともに、島根県仁多郡奥出雲町上阿井の桜井尚氏邸を訪問。午後には三成の川島鍛造場、雨川の絲原記念館へ、また島根県社会福祉事業団理事長兼宮司である安部正哉氏の案内で西比田の金屋子神社へと向かい、西比田の横山家を訪れる。海潮温泉の海潮荘に宿泊。 11月11日、須我神社に詣ったのち、熊野大社へ参拝、その後岩坂安部記念館(和紙)、松江へと向かう。松江市千鳥町の松江福祉会館にて文化講演会「世界の中の日本文化」を講演。八雲本陣で夕食。 11月12日、玉湯町玉作資料館、荒島で横山正克の曽祖父の実家本岩田家を訪ね、岩田正俊老博士と出会う。昼食は安来の横山家(そば)。安来市では並河家、天界酒造などを訪れ、並河家では当主で安来商工会議所会頭である並河純氏らと歓談。9月の旅行と併せ6日間の2人旅の打上げを天界山本家の直営「やまきち」酒造で行う。 11月15日、日本外国特派員協会で ‘Cosmopolitans: The Japanese Way’ (「日本から世界へ」)について英語講演。講演後、質疑応答(’From The Tale of Genji to Contemporary Literature’「『源氏物語』から現代文学まで」)あり。 11月16日、「フードピア金沢 食祭シンポジウム’85」のイベントの一つ「パフォーマンス食談30」に講師として参加(他にも講師として永六輔、浜美枝、早乙女貢、石井好子らが参加)。18:30~20:30、料亭・北間楼にて講演(定員30名)。 11月20日、横山正克宛書簡にて金沢旅行の感想をしたためる。 12月25日、自宅に当時大学生(早稲田大)だった葉英樹(阪本英樹)を招き、パーティーを開く。卒業論文を含め葉の研究について様々なアドバイスをおくり、帰り際サイン入りの The Battles of Coxinga をプレゼントする。
1986(昭和61)年 64歳
1月10日、17:00成田発ノースウエスト航空018便でニューヨークへ出発。前田良和、笠松巌が見送りに訪れる。 1月11日、21:00~NHKの「ビッグ対談」にて金子兜太との対談(「言葉のちから・詩のこころ」)放映。 3月20日、コロンビア大学内に「ドナルド・キーン日本文化センター」が設立されることが決定し、コロンビア大学教授のバーバラ・ルーシュ、司馬遼太郎、安部公房、永井道雄らが記者会見に出席(場所:千代田区・プレスセンター)。 春、「日本の美学」などのテーマでニューヨーク市立図書館ほかで連続講演(英文版:The Pleasures of Japanese Literature、New York: Columbia University Press、1988年/和訳版:『古典の愉しみ』大庭みな子訳、JICC出版局、1992年3月15日)。ニューヨーク市立図書館では「日本の美学」(’Japanese Aesthetics’)、「日本の詩」(’Japanese Poetry’)、「日本の詩の有用性」(’The Uses of Japanese Poetry’)を、カリフォルニア大学ロサンゼルス校では「日本の小説」(’Japanese Fiction’)を講演。 5月20日夜、アメリカン・アカデミー会員に選出されることを受け、ニューヨークにて朝日新聞主催のお祝いの会が催される。 5月21日、アメリカン・アカデミー正会員(文学部門)に選出。 6月15日、『少し耳の痛くなる話』新潮社刊。同日18:00に、JAL482便でバンコクより成田着。前田良和が出迎える。 6月20日刊行の、『わが家の夕めし』(アサヒグラフ編、朝日文庫)に写真と文章が掲載される(初出は、1973年10月12日刊行の『アサヒグラフ』)。 6月、西武池袋本店で開かれていた陶芸家・土屋典康の個展を見に行き、土屋と出会う。 7月6日、「ウラディミール・ホロヴィッツ リサイタル」(主催:梶本音楽事務所・朝日友の会・学校法人昭和女子大学、後援:朝日新聞社、協賛:ポリドール株式会社・株式会社松尾楽器商会、場所:昭和女子大学人見記念講堂)を鑑賞。 8月1日、13:30上野発のそよかぜ3号(4-6A)で15:39に中軽井沢着。 8月6日、15:04中軽井沢発のあさま18号(7-10A)で17:15に上野着。 8月7日、日本近代文学館主催「夏の文学教室」で「ローマ字でしか書けなかった啄木の真実」を講演。 8月16日、ピーター・イェーガー(教え子)、由美子夫妻の結婚式(場所:赤坂・日枝神社)に出席。 8月18日、11:00上野発のあさま11号(7-10C)で13:06に中軽井沢着。 8月20日、16:02中軽井沢発のあさま20号(7ー3D)で18:15に上野着。 9月2日、鶴見照碩、オーティス・ケーリと「世界をめぐる日本の教育」と題し鼎談(司会:西崎照明、場所:京都・嵯峨)。 9月8日、20:00~NHKのETV8にて「音楽を語る(1)ー吉田秀和二夜連続対談ー」放映(出演:ドナルド・キーン、吉田秀和)。 10月8日、国際シンポジウムあまがさき(兵庫県尼崎市総合文化センター)で「世界のなかの近松―悲劇の条件について」を講演。また、「市民文化と演劇」と題したパネルディスカッションに、山崎正和、菅泰男、河竹登志夫、司馬遼太郎、下河辺淳とともに参加。 10月14日、成田山学園成田幼稚園創立35周年を記念し、本園にて「世界の中の日本人」を講演。 10月26日、松山市立子規記念博物館5周年記念講演会「俳句の国際化と松山」で「外国人と俳句」を講演、また座談会「俳句の国際化に関する今後の課題」にも参加(司会:和田茂樹、その他の出席者:大岡信、佐藤和夫、草間時彦)。同講演会の内容は、『開館5周年記念講演会 俳句の国際化と松山』(松山市立子規記念博物館、1987年2月)に収録。 10月31日、江崎玲於奈とともに招聘された「関西大学創立100周年記念学術講演会」(場所:大阪・毎日ホール)で、「明治の日本人は世界をどう見ていたか」を講演。 10月、「続 百代の過客:日記にみる日本人」を朝日新聞・夕刊に連載(1987年10月まで)。 11月14日、第10回国際日本文学研究集会シンポジウムで、「日本文学史について」と題し加藤周一、小西甚一、芳賀徹と討議。 コロンビア大学に「ドナルド・キーン日本文化センター」(Donald Keene Center of Japanese Culture)設立。初代所長はバーバラ・ルーシュ(Barbara Ruch)。 宮田雅之(画)『画歴三十周年記念 宮田雅之切り絵展―おくのほそ道―』(製作:雅房)に「宮田雅之の芸術」が掲載される。
1987(昭和62)年 65歳
1月4日、下田の土屋典康宅を訪問。 1月14日、17:00成田発ノースウエスト航空018便でニューヨークへ出発。前田良和、笠松巌が見送りに訪れる。 1月20日、『二つの母国に生きて』(朝日選書321)朝日出版社刊。また、同日にはドナルド・キーン日本文化センターレセプションがコロンビア大学にて催されるとともに、第3回東京都文化賞の受賞が決定。 2月、『Cosmopolitans: The Japanese Way by Donald Keene 〈日本から世界へ〉 日本人と日本文学にふれて』(サイマル出版会)刊行(カセット付き)。 3月15日、ニューヨークにて原芳男宛の手紙を書く。「先日、生まれて初めてオクラホマという処で日本文学について講演しました」との記述あり。 5月21日、京都:国立国際日本文化研究センター発足、専任教授として共同研究「江戸時代の外国文化の受容と変容」を主宰(1988年まで)。 5月23日、13:45にJAL007便でニューヨークより成田着。前田良和が出迎える。 5月28日11:00、来日に合わせ鈴木都知事より「東京都文化賞」贈呈(場所:都庁2F知事室/庁議室)。嶋中鵬二、伊藤牧夫朝日新聞副社長、前田良和が同席。 6月23日、講談社が設立発起人の財団法人「国際文化フォーラム」が正式に発足し、理事に就任。 6月、西武池袋本店で開催された土屋典康の個展へ。 8月3日、10:00上野発のあさま9号(4-9D)で11:59に中軽井沢着。 8月6日、11:36中軽井沢発のあさま88号で13:45に上野着。 8月17日、10:30上野発のあさま87号(4-6D)で12:32に中軽井沢着。 8月20日、11:36中軽井沢発のあさま88号で13:45に上野着。 8月、下田の土屋典康宅を訪問。 11月4日、東北大学日本文化研究施設公開講演会(場所:仙台・読売ホール)にて「日本古典文学の特質」を講演。 12月、1986年10月31日に大阪毎日ホールで開催された「関西大学創立100周年記念学術講演会」での講演「明治の日本人は世界をどう見ていたか」の内容を収録した『講演記録:関西大学創立100周年記念学術講演会』(関西大学)が刊行。 ニューヨーク・メトロポリタン美術館にて「日本の演劇」(’Japanese Theater’)を講演。
1月5日、下田の土屋典康宅を訪問。土屋宅で夕食。 1月8日、22:00成田発JAL072便でホノルルへ出発。笠松巌、前田良和が見送り。 2月6日、夜にメトロポリタン歌劇場で《魔笛》を観る。翌日に書いた原芳男宛書簡にて、パミーナ役のキャスリーン・バトルを称賛する。 3月14日、1990年度全米批評協会(National book Critics Circle)Ivan Sandrof 賞受賞―日本文学の魅力を英語圏読者に紹介した最功労者として。突然受賞を知らされたドナルド・キーンは、「日本を『不思議の国』と見る時代は終わった。日本文学が世界文学の一部と認められてうれしい」と述べた。WORLD WITHIN WALLS, DAWN TO THE WEST: Japanese Literature in the Modern Era, TRAVELERS OF A HUNDRED AGES が評価される。 朝日新聞社友。 3月28日、25年間書き続けてきた『日本文学史』を脱稿する。 3月31日、『渋沢研究』第3号(渋沢史料館)に、井上潤「基調講演要旨」と題して、渋沢史料館と東京都北区共催の記念シンポジウム「現代に生きる渋沢栄一―二一世紀の理想的指導者像―」(1990年10月13日開催)で行われた基調講演の要旨が掲載される。 4月8日、(25年前から書き続けてきた)『日本文学史』の最後の原稿を出版社に提出する。 5月23日、16:25にJAL005便でニューヨークより成田着。笠松巌、前田良和が出迎え。 6月10日、宮中で行われた天皇皇后両陛下主催の茶会に日本学士院客員として出席(招待状は同年6月4日に届く)。 6月13日、鶴見照碩と「心の世界さながらに」と題し対談(司会:西崎照明、場所:京都・嵯峨) 6月、西武池袋本店で開催された土屋典康の個展へ。 8月2ー7日、宇佐美に滞在。 8月5日、下田の土屋典康宅を訪問。下田・海友館で食事。 8月14日、11:15にコロンビア大学 C.V.スター東亜図書館の仁木賢司と、寄贈図書の件で中央公論社を訪れる。7Fのダルタニアンで昼食。 8月20日、17:25成田発ニュージーランド航空090便でオークランドへ出発。ニュージーランド北島ワイカト州ハミルトン市に到着。国立ワイカト大学教授のケネス・へンシャル宅に神戸大学教育学部教授の宇田正と1週間滞在する(毎夕会食あり)。 8月22日、ケネス・へンシャル、神戸大学教育学部教授の西垣勤夫妻、宇田正とロトルアを観光。 8月24日、午前に国立ワイカト大学で催された第9回アジア研究国際学会(23ー26日まで計4日間開催)にて記念講演。昼からは、ワイカト河の外輪観光船で舟遊び。 8月27日、15:55にニュージーランド航空033便でオークランドより成田着。前田良和が出迎え。 9月2日、14:00に羽田さくらラウンジ集合、17:00に羽田空港から福岡へ出発。福岡に3泊後、上海・杭州・蘇州へと向かう。 9月5日、虹橋国際航空に到着。杭州大学(現:浙江大学)教授・王勇と上海日本総領事館の文化領事・井上一郎が出迎える。淮海路の上海賓館に宿泊。 9月6日、上海日本総領事館から派遣された調査員・徳岡仁の案内で、王勇とともに上海博物館を見学。昼食後、13:18発の汽車で杭州へ出発し、16時頃杭州駅に到着。杭州大学教授・馬安東と王宝平が出迎える。以後杭州大学の正門から徒歩10分の黄龍飯店に宿泊。 9月7日、杭州大学日本語科の学生(3年生と4年生の計41名)を対象とした日本文学集中講義の内容・スケジュール打ち合わせをホテルにて行う(客員教授としての講義は全4回・日本語)。 9月8日、王勇の案内で西湖周辺(蘇堤・白堤)を散策。 9月10日、杭州大学にて「明治初期の日本文学の成立」を講義。 9月11日、杭州大学にて「日本の日記文学」を講義。 9月13日、杭州大学にて「日本文学がどのように欧米に紹介されたか」を講義。 9月14日、王勇の案内で杭州文物商店を訪れる。 9月18日、杭州大学にて「西洋人の目から見た日本」を講義。なお、4回にわたる講義内容の詳細は『日本文学は世界のかけ橋』(たちばな出版、2003年10月28日)に収録。最終講義の後には、沈善洪学長から杭州大学名誉教授の証書が授与された。翌日19日からは王勇と2人で蘇州を観光。 9月22日、17:45にJAL792便で上海より成田着。前田良和が出迎え。 9月、第2回福岡アジア文化賞(芸術・文化賞)受賞。 10月14日、成田山学園成田幼稚園創立40周年を記念し、本園にて「二つの母国」を講演。 10月26日、「富山近美友の会設立/富山県立近代美術館開館 十周年記念特別講演会」(場所:富山市科学文化センター ホール)にて、「日本文化の特質」を講演。この前後に当時の富山県立近代美術館普及課長・福井文夫の案内で、画家・古川通泰の画室を訪れたと思われる。古川の画室を訪れた数日後には、「里の祭り」(1991)を贈られる。