ドナルド・キーン年譜 50代

(注)年譜作成にあたっては、『ドナルド・キーン著作集 別巻 補遺:日本を訳す/書誌』(新潮社、2020年2月)及び『別冊太陽 日本のこころ254 ドナルド・キーン 日本の伝統文化を想う』(平凡社、2017年9月)を適宜引用した。また多くの方々に貴重な情報を提供いただくなど、多大なご協力をいただいたことに、心より感謝する。未確定の情報については「?」で示しており、今後調査を進めていく予定である。以下の年譜は、2024年(令和6年)5月22日版である。

1972(昭和47)年
50歳

1月、「日本文学を読む」を『波』に日本語で連載(1977年6月まで)。
1月16日、11:38羽田発JAL22便でニューヨークに向かう。嶋中鵬二夫妻、永井道雄夫妻、安部公房夫妻、伊吹和子、前田良和らが見送りに訪れる。
2月18日、『日本の作家』が中央公論社から刊行される。
3月11日、フロリダのセント・ピーターズバーグに住む父ジョセフのもとを訪ねる。原芳男に手紙を書く。
4月2日、JAL005便で、ニューヨークからアンカレッジを経由し、15:45に羽田へ到着。嶋中鵬二、前田良和らが出迎える。赤坂プリンスホテル宿泊。
4月9日、15:15羽田発のパンナム航空800便でニューヨークへと向かう。嶋中鵬二夫妻、永井美智子、徳岡孝夫、前田良和らが見送りに訪れる。
6月23日、チャイナエアライン007便で、ニューヨークからホノルルを経由し、20:00に羽田へ到着。嶋中鵬二、永井美智子、前田良和らが出迎える。赤坂プリンスホテル宿泊。
6月27日、文部省と日本ユネスコ国内委員会によって、図書関係事業の振興に貢献した個人として表彰されることが決定(個人11氏と6団体が選出)。7月3日の国際図書年記念大会表彰式(主催:文部省・日本ユネスコ国内委員会・国際図書年実行委員会、場所:内幸町・イイノホール)にて、高見文相から国際図書年記念功労者として賞状・記念品授与。
6月30日、『日本との出会い』が中央公論社から刊行される。
7月10日、17:00から紀伊國屋書店4階・画廊にて「日本との出会い」サイン会が催される。
7月20日、18:00より大岡昇平と「東販ニュース」対談(皇家飯店)
7月25日、名誉会長三笠宮の出席のもと開催された出版文化国際交流会主催の国際出版文化賞の授賞式(場所:出版会館4Fホール)にて、「ランドスケープス・アンド・ポートレイツ」(講談社インターナショナル刊)が同賞を受賞。
7月31日、中央公論講演会にて、「日本学とは何か」(場所不明)を講演。
10月11日から発売された『谷崎潤一郎全集』(中央公論社、豪華普及版・全28巻)のリーフレットに、「生きつづける古典」が掲載される。
11月、日本ペンクラブ主催「日本文化研究国際会議」で「中国文学との関係における日本文学」を講演。
11月、The Japan Times の記者で、のちに翻訳者となる角地幸男と出会う。

1973(昭和48)年
51歳

2月10日、09:30から放送された日本テレビ系の特別番組「伊勢神宮ー遷宮をまぢかにしてー」において、儀式についてコメント。
3月10日、JAL005便で17:10に羽田到着。
3月18日、18:00羽田発のJAL006便で、アンカレッジを経由しニューヨークへ向かう。
3月20日、大岡昇平との対談『東と西のはざまで:近代日本文化を語る』朝日出版社刊。
3月刊行の『三島由紀夫全集』(全35巻/補巻1、新潮社、1973-1976年)のパンフレットに、「刊行を喜ぶ」掲載。
4月25日から刊行が開始された『三島由紀夫全集』(新潮社、全35巻・補巻1巻)のパンフレットに、編纂委員として「刊行を喜ぶ」を寄せる。
5月25日、安部公房との対談『反劇的人間』(中公新書323)刊行。
6月21日、パンナム航空001便で、ニューヨークからホノルルを経由し、15:35に羽田へ到着。
7月7日、徳岡孝夫との共著『悼友紀行:三島由紀夫の作品風土』中央公論社刊。同日、17:30~有吉佐和子主催の七夕句会(場所:「堀之内青庵」)に出席。「文月や筆のかわりに猫のひげ」・「恋そめや庭にきりたる猫のひげ」という句を詠む。同句会には、車谷弘、教え子でハワイ大学教授のミルドレッド・タハラ、野村証券社長・北裏喜一郎、俳優・加東大介らが参加。
8月、伊勢神宮のお白石持行事に参加。
8月3-11日、軽井沢に滞在。5日に原芳男宛の手紙を書く。
8月30日、『生きている日本』(江藤淳・足立康訳、朝日出版社)刊行(Living japan、1959年)。
8月30日、京都の相国寺本堂大広間で行われた日米合同会議「室町時代―その社会と文化」でジョン・ローゼンフィールドの講演(演題:「三教一致―十五世紀における日本の墨絵の一テーマ」)の司会を担当。
8月31日、京都の相国寺本堂大広間で行われた日米合同会議「室町時代―その社会と文化」で「連歌における滑稽の伝統」を講演。講演後、芳賀幸四郎の司会で討論。
10月2日、第60回神宮式年遷宮を迎えた伊勢神宮を訪れる。麻吉旅館に宿泊。
10月3日、麻吉旅館にて、俳句「涼しさや祭りの後乃秋の朝」を詠む。俳句と日付、署名(「昭和四十八年十月三日 ドナルド・キーン」)の入った色紙が麻吉旅館にあり。
10月5日刊行の『週刊読売臨時増刊号 伊勢と遷宮』(32巻44号)に「神秘的だった自然と人間の結合 私の体験した遷宮式」が掲載される。
10月12日刊行の『アサヒグラフ』に掲載された「わが家の夕めし」に登場。内容は、当時ハウスキーパーだった岩波久恵とともに刺身・ナスのしぎ焼き・中華風サラダを食べる写真と文章(「外人とさしみ」)で構成。
10月、日本航空外国人職員向け英文社内報『OHZORA』に、京都、金沢、伊勢、萩、弘前、桜井、宇治、長崎、福岡、奈良、函館、下田の紀行文を連載(1974年9月まで)。
11月1日、山口県山口市の防長苑にて行われた教育座談会(テーマ:日本文学・教育問題など、主催:財団法人山口県教育財団)に出席。また「日本の文化と風土」をテーマに講演(共催:山口県市町村教育委員会協議会・大畠町、場所:山口市民会館大ホール)。
11月3日、「日本の文化と風土」をテーマに講演(共催:山口県市町村教育委員会協議会・大畠町、場所:大畠町立大畠中学校)。

1974(昭和49)年
52歳

1月、「ドナルド・キーンの日本文学散歩」を『週刊朝日』に連載(1975年9月まで、篠田一士他訳)。
1月7日、11:30~有吉佐和子主催の初釜に参加(場所:堀之内青庵)。
1月10日、22:30羽田発のパンナム航空002便でホノルルへ。
1月11日、ホノルルにてミルドレッド・タハラ(Mildred Tahara)と昼食・夕食を共にする。
1月12日、ホノルルにてジャック・ケア(Jack Kerr)とエドワード・サイデンステッカーらと会う。
1月14日、バンクーバーに滞在。原芳男に手紙を書く。
2月14日、ワシントンに滞在。原芳男宛の手紙で、「フィリップス美術館」(フィリップス・コレクション)を見学したことを伝える。
6月25日、日航(JAL)の海外雑誌に函館を紹介するべく、上野から函館へ。作家・木下順一らと五稜郭公園、大沼公園をまわり、大沼公園からの帰り道にドライブインでシャケ定食を食べる(昼食)。立待岬、函館市中央図書館を訪れ、夕食に寿司を食べる。当日の様子について、詳しくは11月1日刊行の『月刊はこだて』(147号)に掲載された木下順一「ドナルド・キーンさん」を参照。
11月23日に、東京都北区西ヶ原1-40-10-707に転居。(手伝い:徳岡孝雄と二人の息子、前田良和、その他)。安部公房と演劇グループの数人がお祝いに来る。
12月4日、「石川近代文学館「鏡花研究」創刊記念 講演と映画の会」に出席、「わが愛する鏡花」を講演(場所:社会教育センター四階ホール、主催:石川近代文学館)。
山崎正和をコロンビア大学客員教授として招聘。山崎は「日本近代思想史」を講義し、年末には帰国する。

1975(昭和50)年
53歳

1月10日、勲三等旭日中綬章受章が決定される。
1月12日、『朝日新聞』に「ひと 勲三等旭日中綬章を受けたドナルド・キーン」掲載。
1月13日、『京都新聞』に「この人 日本文学は新鮮な発見 勲三等旭日中綬章を受章のドナルド・キーン」掲載。
1月14日、東京・外務省にて、内田宏外務省儀典長から勲三等旭日中綬章を受ける。
1月15日、『京都新聞』に「勲三等受章のキーン氏 文相と旧交温める」が掲載(「文相」とは永井道雄のこと)。『読売新聞』にも「政界メモ 「受章でキーン張しました」」が掲載される。
3月11月、10年ぶりにセント・ピーターズバーグに滞在し、親友・原芳男にはがきを送る。
5月13日、安部公房がニューヨークに到着。
5月15日、安部公房を小説家フィリップ・ロス(Philip Roth)に引き合わせる。
5月18日、安部公房とともに『シズエ・バンズィは死んだ』(Sizwe Banzi is Dead)を観劇。
5月21日、安部公房、小説家バーナード・マラマッド(Bernard Malamud)と夕食をともにする。
6月21日、文部省文明問題懇談会の専門委員となる(1976年3月31日まで)。
10月12日、「芭蕉祭」での講演に招かれ、初めて伊賀を訪れる。講演後、永井道雄と鍵屋の辻の茶屋を訪問。その後も伊賀を訪れる度、茶屋の店主・長家陽子に「伊賀にいて芭蕉を思わす秋の暮」、「さまざまのこと思い出す伊賀の秋」などの句を残す。
10月20-25日、「井澤元一・エチュード展 〈ドナルド・キーンの日本文学散歩〉さし絵」が京都・「ギャルリー宮脇」3階サロンにて開催。会期中に展覧会会場を訪れる。
12月20日、『日本文学散歩』朝日選書51(英文版:Some Japanese Portraits. Tokyo: Kodansha International、1978年)。
The Man Who Turned into a Stick(安部公房の戯曲『棒になった男』を)Tokyo: University of Tokyo Press より翻訳刊行。
オーティス・ケーリ編 War-Wasted Asia: Letters, 1945-46. Tokyo: Kodansha International 刊。(和訳版:『昨日の戦地から:米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア』中央公論新社、2006年)。
文部省の文明問題懇親会専門委員。
ニューヨークで古田草一と出会う。

1976(昭和51)年
54歳

1月6日、大日本茶道学会の初釜に招かれる。
1月10-17日に開催された井澤元一の個展「城」の案内状に「井沢元一氏の「城」の個展によせて」を寄稿。
1月、「ドナルド・キーンの音盤風刺(姿)花伝」を『レコード芸術』に連載(12月まで、中矢一義訳)。
3月30日、石川近代文学館で行われた講演「わが愛する鏡花」(日時:1974年12月4日)の内容を収録した『鏡花研究』2号(石川近代文学館)が刊行される。
4月2日、ニューヨークに滞在。原芳男に手紙を書く。
4月11日、ニューヨーク(Brookside Estate in Rye)にて、詩人・教授・デザイナーの古田草一夫妻と会う(写真あり)。
6月12日、小学館の『日本古典文学全集』刊行記念パーティーに、サイデンステッカーとともに出席。
7月30日、17:30両津港着の船で佐渡を訪れる。真野町松雲荘に宿泊。新町大神宮で人形芝居を見学する。佐渡旅行中は、中矢一義、今井誠一、富士川義之が同行する。
7月31日、午前に真野御陵、国分寺、妙宣寺、長谷寺を見学し、午後には新穂村潟上、本間家能舞台で能楽を見学する。真野町松雲荘に宿泊。
8月1日、午前に山本修之助宅を訪問し、小木町小比叡山蓮華峰寺、宿根木博物館を見学する。午後には、新穂村塚原山根本寺、新穂村鬼太鼓、金井町黒木御所、正法寺を見学し、北條道益宅を訪問。金井町湯之沢旅館宿泊。
8月2日、午前に佐渡博物館、相川鉱山遺跡を見学し、陶工長浜数右衛門窯を訪問。午後には、新穂村潟上本間家能舞台、ならびに能衣装を見学する。相川町清新亭宿泊。
8月3日、午前に佐和田町中央会館で「日本文化について」を講演(主催:常盤会佐渡支部)。12:30両津港発の船で離島。
8月10日、神田・エヴァンタイユで安部公房と対談。対談内容は、『レコード芸術』(1976年10月号)の「ドナルド・キーンの音盤風刺(姿)花伝 連載第十回 対談 安部公房氏と音楽を語る」に掲載。
9月6日-10日、NHKテレビ:女性手帳で「日本文学とわたし」を語る。
大阪、金沢、仙台、札幌での日米交流委員会主催、日米フォーラムに出席、日米相互理解について講演。
10月、World Within Walls: Japanese Literature of the Pre-Modern Era, 1600-1867(『日本文学史:近世篇』)、New York: Holt, Rinehart and Winston 刊(和訳版:『日本文学史:近世篇』上下巻、徳岡孝夫訳、中央公論社、1976年12月20日・1977年7月10日)。和訳版『日本文学史:近世篇』のリーフレット(1976年?)には、「著者のことば」の他、大岡信「すぐれた学者の通史の魅力」、山崎正和「ひとつの文学的な世界 キーン氏の日本文学史を推す」が掲載された。
10月24日、新聞広告シリーズ「書きおろし 酒の寓話 Suntory Fables of Drinking」(4)に、「イソップを探す寓話」が掲載される。
12月末日、佐伯彰一宛に送ったはずの『日本文学史:近世篇』(上巻)があやまって大岡昇平のもとに届く。「冠省 間違って小生のところへ来ましたので転送します 十二月末日」との手紙付で大岡から佐伯に書籍が送られる。

1977(昭和52)年
55歳

5月20日、『ドナルド・キーンの音盤風刺花伝』音楽之友社刊。
6月1日ー11月30日、国文学研究資料館外国人研究員として雇用。7月25日、身分証明書発行。
6月、国立国文学研究資料館・国際日本文学研究集会委員会委員(1987年まで)。
7月、新潮文化講演会で、12月まで6回にわたり連続講演(演題は「日本を理解するまで」)。
8月15日、(1年ぶりに)軽井沢に滞在。原芳男に手紙を書く。
8月、第4回九州国際文化会議で「現代日本文学の特徴とその背景」を講演。
10月1日、国文学研究資料館公開講演会(国文学研究資料館)で「日本文学史について」を講演。
10月5日、第54回全国労務管理者大会(高知市)にて「日本人と日本文化を概観する」を講演。
11月10日、第1回国際日本文学研究集会にて、「日本におけるモダニズム作家について」を講演。
11月15日、『日本文学を読む』新潮選書。
12月3日発行、日生劇場公演プログラム『班女・天守物語』に「三島さんの「班女」」を掲載。
12月、日生劇場での公演「坂東玉三郎の美の世界」にて、『班女』、『天守物語』を観る。当時の大入り袋あり。
12月10日、日本詩人クラブ主催の公開座談会「日本の詩歌と小説 ドナルド・キーン氏を囲んで」に出席(司会:薩摩忠)。約200名が参加。座談会の終了後、会場を渋谷のスエヒロに移して、懇談。

1978(昭和53)年
56歳

1月刊行の『関西経協』(32巻1号、関西経営者協会)に、第54回全国労務管理者大会(場所:高知市、日時:1977年10月5日)での講演内容が「日本人と文化の特質―日本人と文化の原点を探る」と題して掲載される。
1月刊行の『レコード芸術』に、「新春特別対談 ドナルド・キーン 辻邦夫 音楽とその周辺を語る キーン氏の《音盤風姿花伝》をめぐって」掲載。
2月、コロンビア大学の教授アパート Riverside Drive 445(11階)に転居、コロンビア大学の教授になったサイデンステッカーと春・秋、交互に居住、授業も春・秋、交互に担当。
2月刊行の、『チエコズ・スカイ(Chieko’s Sky)』(講談社インターナショナル)の帯文を担当。
3月刊行の『国文学研究資料館報』(10号)に、国文学研究資料館公開講演会(場所:国文学研究資料館、日時:1977年10月1日)での講演内容(演題:「日本文学史について」)が掲載される。
3月14日、ヨーク(英国北部)に滞在。原芳男に手紙を書く。
3月18日、ケンブリッジ大学より文学博士(Doctor of Letters)号(授与式は1981年、同大学で)。
3月19日、ニューヨークへと帰る。
5月22日、『碧い眼の太郎冠者』を日本点字図書館の「テープ・ライブラリー」蔵書に加えることを許諾。
6月1日、東北大学文学部特別招聘教授として着任。谷崎、川端、三島、安部などについて公開講義(11月まで)。
6月7日、ドナルド・キーン教授歓迎会(場所:東洋館)が行われる。
6月15日、第1回公開講演会が行われ、「谷崎潤一郎」について講演。
6月30日発行の『書きおろし 酒の寓話』(サントリー株式会社)に、「イソップを探す寓話」(1976年10月24日)が掲載される。
7月6日、第2回公開講演会が行われ、「川端康成」について講演。
7月26日、山本健吉と対談。司会は徳岡孝夫が務める。
7月刊行の『波』(12巻7号)に中村真一郎との対談「挑戦する文学全集」が掲載される。
10月5日、第3回公開講演会が行われ、「三島由紀夫」について講演。
10月15日、北軽井沢にて野上彌生子と対談。『海』(1979年1月号)に、新春対談(題:「文学史の余白に」)として掲載される。嶋中鵬二、『海』編集長の塙嘉彦が同席。
10月刊行の『翻訳の世界』(3巻10号)に、山本健吉との対談「俳句世界の伝統と現代ー異なる美意識の接点に位置してー」(対談日:1978年7月26日)が掲載される。
11月4日、東北大学日本文化研究施設主宰で行われた第13回東北大学日本文化研究施設公開講演会にて、「日本古典文学の特質」を講演。
11月10日、伊東市・宇佐美宇佐見の伊豆ビューグランドハイツ2号棟965号室の購入契約を結ぶ。

1979(昭和54)年
57歳

2月19日、ニューヨークに滞在。原芳男に手紙を書く。
3月20日、対談集『日本の魅力』中央公論社刊(円地文子、河上徹太郎、山崎正和、加藤周一、井上ひさし、梅棹忠夫、福田恆存、永井道雄、安部公房、三島由紀夫、小西甚一、大岡昇平、篠田一士、丸谷才一、星新一、辻邦生らとの対談・鼎談を収録)。
3月31日刊行の『日本文化研究所研究報告』第15集(東北大学日本文化研究所)に、「日本古典文学の特質」(1978年11月4日の同講演に加筆訂正したもの)が掲載される。
5月8日刊行の、日坂洋吾の詩集『微笑と翳 1972-1979』(書肆山田)の紹介文が本の帯に掲載される。
5月20日、『日本を理解するまで』新潮社刊。
9月1日ー12月31日、大阪大学文学部の特別招聘教授(職務内容・役割:「世界の中の日本演劇」についての教育)。
9月30日、『日本文学のなかへ』徳岡孝夫構成・文、文藝春秋刊。
日米友好基金日本文学翻訳賞(ニューヨーク:ジャパンソサイティ)選考委員。
京都留学時代に交流した画家井澤元一の画文集『古都点描』に序文「伝統に迫る井澤さんの情熱」を寄稿。

1980(昭和55)年
58歳

1月10日、紀行文集『日本細見』中矢一義訳、中央公論社刊。
1月、『川端康成全集』(全35巻、新潮社、1980年2月ー1984年5月)のリーフレット(内容見本)に「川端文学の国際性」掲載。他にも、山本健吉「新川端全集刊行に際して」、井上靖「鬱然たる大樹を仰ぐ」、中村光夫「川端文学の謎」、三島由紀夫「長寿の芸術の花を」等を収録。
5月、『新潮現代文学』(全80巻、新潮社)のリーフレットに『波』12巻7号(1978年7月)に発表された中村真一郎との対談「挑戦する文学全集」が掲載される。
6月20日、『音楽の出会いとよろこび:続音盤風姿花伝』(中矢一義訳、音楽之友社)刊行。
8月5日、宇佐美に到着。原芳男宛の手紙で到着を伝える。
10月18日、九州龍谷短期大学にて「日本との出会い―日本文学の特徴について―」を講演。
10月22日、09:00成田発のJAL781便で北京に到着。北京国際倶楽部で「日本文学の特質」を講演。
10月27日、JAL782便で北京から日本へ帰国(21:30到着)。

1981(昭和56)年
59歳

2月17日、ニューヨークにて原芳男宛の手紙を書く。
4月8日、ニューヨークにて原芳男宛の手紙を書く。
国際交流基金の依頼により日本外務省主催のヨーロッパ講演旅行(イギリス、デンマーク、フィンランド、ポーランド、ソ連)。ケンブリッジ大学で学位取得。
5月20日、『私の日本文学逍遙』新潮社刊。
5月25-29日、モスクワに滞在。日本大使館主催の講演会に出席する。
5月30日、日本に戻る。
7月15日、成田幼稚園創立30周年を記念し、本園にて「日本語と私―現今の教育におもう―」を講演。
7月25日、成田山新勝寺寺務長の鶴見照碩と「教育をめぐりて」と題し対談(司会:西崎照明、場所:大本山成田山新勝寺貴賓室)。
9月20日、『ついさきの歌声は』中矢一義訳、中央公論社刊。
12月2日、オークランド(ニュージーランド)にて講演。約550人が出席。
12月3日、ウェリントン(ニュージーランド)にて原芳男宛の手紙を書く。
コロンビア大学日本文学講座「新潮フェア」に任命。

50代